どうしようもなく不安な時、やはり人間は一人だと実感する。体の隅々、生活の隅々にまで不安が行き渡ってしまって、逃げ出したいような、ずっと同じ場所でじっとしていたいような哀しくそわそわした気持ちは、どんなに言葉を尽くしてそれを説明しても、他人とは共有しえない。
暗い部屋でそう考えながらひっそりと体を横たえると、コロナ禍の暮らしを思い出す。
私は一人で家にいるのが得意なほうだが、時々不安に苛まれると、ベッドの中の体が強張ってしまって、眠ることも動き回ることもできなかった。そうなったら、私は部屋の明かりを消して目を閉じて、静かに深呼吸をしながら「孤独は私の友だち」だと頭の中でつぶやく。
孤独が、孤独こそが永遠に私といてくれる。
孤独は静かな部屋そのもののような黒い大きな人影をしていて、冷えた私を覆うようにふんわりと抱きしめてくれる。すると私は暗闇に馴染み、やっと四肢の力を抜いて、少しだけ気を休めることができるのだ。
2026/05/09(土) 20:18 Comment(0) permalink
家人がごくたまに話の流れで口にする「もしも自分の背が高かったら、今より人の気持ちがわからない人間になっていたかもしれない」というエピソードがすごく好きだ。

家人はあっけらかんとした明るい性格で、根拠のない自信が彼の周囲に対する優しさや寛容さにすごくいい働きをしている人だ。その上ハンサムでおしゃれだから、若い頃はさぞモテただろうと思っているのだが、その明るさゆえ、背も高くコンプレックスがなかったら、きっと調子に乗ってしまっていたのではないか、と自分のことを分析しているという。

私はそれを、なんて思慮深くて素敵なんだと思うし、実際頭の中で家人の背が高かったらと想像してみる。
彼はお酒が飲めないから遊び方は限定されるが、それでも今の人生より女性関係は派手になっていたかもしれない。若い時期に仕事関係で出会ったモデルと早めに結婚していたかもしれない。そうしたら、私とはすれ違うことはあっても結婚はしなかっただろう。

頭のいい人だから、人の気持ちがわからないということはないと思う。でも、たとえば体のどこかにコンプレックスがある人の気持ちは、理解できないというよりは、背の低い彼より知らない状態で歳をとることになったかもしれない。
その場合、すれ違った私たちは果たして仲良くなれただろうか。そう考えると、私は家人の背が低めだったことにすら、感謝に気持ちを抱いてしまうのだ。
2025/11/04(火) 23:23 Comment(0) permalink
十五日で四十五歳になった。あまりイメージの湧かない数字だが、とにかくもう十分すぎるほど大人だ。

十四日に夫と出掛けて、午後三時にはホテルについて、二時間かけてアフタヌーンティーをした。
貸切の部屋に奇妙にのどかなインストロメンタルが流れる中、大きなソファに腰掛けて、フォートナム&メイソンの紅茶を飲み、小さなオードブルやお菓子を次々と食べていく。窓から見える素晴らしい曇天と遠くにそびえる高層ビル。部屋には私の好きなブルー系のお花だけの花束が置いてあった。
本来、こういうことをされるのは苦手だけれど、夫からは別だ。日頃からそういうことをするタイプではない夫が、一緒に楽しく過ごすため、私を喜ばせようと考えてくれることはいつもすごくうれしい。

夫にはほとんどなんでも話せる。自分の体にもうじき更年期障害が訪れそうなことも、最近好きな化粧のことも、仕事先での人間関係のことも、イヤだと思っていることも、好きな作品のことも大嫌いな作品のことも夫と話せる。それは私にとってすごくありがたいことだ。そういう相手と暮らせている私は本当に運が良いと思っている。
ちゃんと二人の関係をメンテナンスして、ずっと心地よく一緒にいるためにがんばる。
2025/10/16(木) 00:49 Comment(0) permalink
叔母が死んだ時期の記事を別のブログから移そうと思ったのだが、どうやら削除してしまっていたみたいで驚いた。しかし、あれを人に読ませるのかという気もずっとしていたので過去の私の判断も間違いではない。

叔母が亡くなったのは2021年7月31日のおそらく早朝だった。私はあれほど泣いた日々はかつてなかったが、泣くというより轟くというかんじで、外ではいくらでも普段通りに振る舞えるのに、一人の部屋に戻った途端、喉がザーザー鳴るほど泣いて過ごしていた。
叔母が大好きだったとか、仲が良かったからというより、私も母も他の家族も、叔母が統合失調症であると知りながら何もできなかったことが悲しかったし、そういう意味で叔母は病死であったし、私たち家族が殺したという面もあった。
明け方に小さな木の椅子を持って外出し、マンションの屋上へ行って飛び降りたという叔母の行動の予測もついたかもしれないし、通院や服薬をもっと徹底して管理する方法もあったかもしれない。でもできなかったし、しなかった。

あの時期は音楽もアニメも映画も漫画もぜんぶがちゃんと心に届かず、わたすはすべてを明確に嘘だと思っていた。そして、大森靖子の『死神』だけを繰り返し聞いていた。
あれも嘘だが、叫ばない私の代わりに引き裂くような声で歌っていいるみたいで、聴くことをやめられなかった。
あの時感じたフィクション、物語への絶望は今もかなり私の創作のネックになっている気がする。

おもしろいお話、それが私に何をしてくれる、とか、私の考えを伝える物語、伝わったからって何になる、とか。まるでネバーエンディングストーリーみたいだ。
ファンタジーを信じなくなったことで本当にファンタジーを失ってしまった。失いかけたというより、明確に一度失ったのだと思う。

取り戻すためには、とにかく作るしかない。それからたぶん、私が幸せになるしかないと思う。でも、私はそもそも、幸せな気持ちだとあまり創作をしないタイプなので難しいところだ。
2025/10/16(木) 00:22 Comment(0) permalink
『マンガの作り方』という本を頼りになるべくたくさんのプロットを作って、できればそのうちの何本かは実際に小説やシナリオにしたいと考えているのだが、まだたった一本分ができただけだ。
もう一本、と思って作り始めたホラーは、今のところちょっと要素を盛り込みすぎな気がしている。しかし、このくらいの情報量、上手い人ならきれいに捌けるだろうなとも思いながらねちねちと考え続けている。

自分がつまづくのは、物語のある流れを考えているとすぐに枝葉の出来事や感情が浮かんできて、そちらの方がおもしろい気がしたり、好きな気がしたりしてまとめきれなくなってしまうところだ。
これはプロット自体は情報を絞ってきれいにまとめ、実際に描き出すときに足し引きしていくべき情報だと思う。それからもう一つは割と致命的なのだが、私には物語を通して訴えたいことなどあるのか? ということだ。これまで関わってきた物語にはほとんどすべて私の気持ちも乗っかっていたが、それは若い時だからこそ持っていた生きる悲しみや未来への絶望みたいなものが多かったように思う。しかし、私はちゃんと幸せになろうとして、生きる悲しみを自分の力にし、絶望とはほとんど同化してしまった。つまり、原動力たるべき怒りがそれほどないのだ。
エンターテイメントのみに振り切った物語を作るには、私には技量が足りないと感じる。
とにかくめげずにたくさん作るしかない。
2025/10/04(土) 00:02 Comment(0) permalink