叔母が死んだ時期の記事を別のブログから移そうと思ったのだが、どうやら削除してしまっていたみたいで驚いた。しかし、あれを人に読ませるのかという気もずっとしていたので過去の私の判断も間違いではない。

叔母が亡くなったのは2021年7月31日のおそらく早朝だった。私はあれほど泣いた日々はかつてなかったが、泣くというより轟くというかんじで、外ではいくらでも普段通りに振る舞えるのに、一人の部屋に戻った途端、喉がザーザー鳴るほど泣いて過ごしていた。
叔母が大好きだったとか、仲が良かったからというより、私も母も他の家族も、叔母が統合失調症であると知りながら何もできなかったことが悲しかったし、そういう意味で叔母は病死であったし、私たち家族が殺したという面もあった。
明け方に小さな木の椅子を持って外出し、マンションの屋上へ行って飛び降りたという叔母の行動の予測もついたかもしれないし、通院や服薬をもっと徹底して管理する方法もあったかもしれない。でもできなかったし、しなかった。

あの時期は音楽もアニメも映画も漫画もぜんぶがちゃんと心に届かず、わたすはすべてを明確に嘘だと思っていた。そして、大森靖子の『死神』だけを繰り返し聞いていた。
あれも嘘だが、叫ばない私の代わりに引き裂くような声で歌っていいるみたいで、聴くことをやめられなかった。
あの時感じたフィクション、物語への絶望は今もかなり私の創作のネックになっている気がする。

おもしろいお話、それが私に何をしてくれる、とか、私の考えを伝える物語、伝わったからって何になる、とか。まるでネバーエンディングストーリーみたいだ。
ファンタジーを信じなくなったことで本当にファンタジーを失ってしまった。失いかけたというより、明確に一度失ったのだと思う。

取り戻すためには、とにかく作るしかない。それからたぶん、私が幸せになるしかないと思う。でも、私はそもそも、幸せな気持ちだとあまり創作をしないタイプなので難しいところだ。
2025/10/16(木) 00:22 Comment(0) permalink

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