Mouneru.
誕生日
十五日で四十五歳になった。あまりイメージの湧かない数字だが、とにかくもう十分すぎるほど大人だ。
十四日に夫と出掛けて、午後三時にはホテルについて、二時間かけてアフタヌーンティーをした。
貸切の部屋に奇妙にのどかなインストロメンタルが流れる中、大きなソファに腰掛けて、フォートナム&メイソンの紅茶を飲み、小さなオードブルやお菓子を次々と食べていく。窓から見える素晴らしい曇天と遠くにそびえる高層ビル。部屋には私の好きなブルー系のお花だけの花束が置いてあった。
本来、こういうことをされるのは苦手だけれど、夫からは別だ。日頃からそういうことをするタイプではない夫が、一緒に楽しく過ごすため、私を喜ばせようと考えてくれることはいつもすごくうれしい。
夫にはほとんどなんでも話せる。自分の体にもうじき更年期障害が訪れそうなことも、最近好きな化粧のことも、仕事先での人間関係のことも、イヤだと思っていることも、好きな作品のことも大嫌いな作品のことも夫と話せる。それは私にとってすごくありがたいことだ。そういう相手と暮らせている私は本当に運が良いと思っている。
ちゃんと二人の関係をメンテナンスして、ずっと心地よく一緒にいるためにがんばる。
2025/10/16(木)
00:49
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叔母の死についての記事
叔母が死んだ時期の記事を別のブログから移そうと思ったのだが、どうやら削除してしまっていたみたいで驚いた。しかし、あれを人に読ませるのかという気もずっとしていたので過去の私の判断も間違いではない。
叔母が亡くなったのは2021年7月31日のおそらく早朝だった。私はあれほど泣いた日々はかつてなかったが、泣くというより轟くというかんじで、外ではいくらでも普段通りに振る舞えるのに、一人の部屋に戻った途端、喉がザーザー鳴るほど泣いて過ごしていた。
叔母が大好きだったとか、仲が良かったからというより、私も母も他の家族も、叔母が統合失調症であると知りながら何もできなかったことが悲しかったし、そういう意味で叔母は病死であったし、私たち家族が殺したという面もあった。
明け方に小さな木の椅子を持って外出し、マンションの屋上へ行って飛び降りたという叔母の行動の予測もついたかもしれないし、通院や服薬をもっと徹底して管理する方法もあったかもしれない。でもできなかったし、しなかった。
あの時期は音楽もアニメも映画も漫画もぜんぶがちゃんと心に届かず、わたすはすべてを明確に嘘だと思っていた。そして、大森靖子の『死神』だけを繰り返し聞いていた。
あれも嘘だが、叫ばない私の代わりに引き裂くような声で歌っていいるみたいで、聴くことをやめられなかった。
あの時感じたフィクション、物語への絶望は今もかなり私の創作のネックになっている気がする。
おもしろいお話、それが私に何をしてくれる、とか、私の考えを伝える物語、伝わったからって何になる、とか。まるでネバーエンディングストーリーみたいだ。
ファンタジーを信じなくなったことで本当にファンタジーを失ってしまった。失いかけたというより、明確に一度失ったのだと思う。
取り戻すためには、とにかく作るしかない。それからたぶん、私が幸せになるしかないと思う。でも、私はそもそも、幸せな気持ちだとあまり創作をしないタイプなので難しいところだ。
2025/10/16(木)
00:22
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物語作り
『マンガの作り方』という本を頼りになるべくたくさんのプロットを作って、できればそのうちの何本かは実際に小説やシナリオにしたいと考えているのだが、まだたった一本分ができただけだ。
もう一本、と思って作り始めたホラーは、今のところちょっと要素を盛り込みすぎな気がしている。しかし、このくらいの情報量、上手い人ならきれいに捌けるだろうなとも思いながらねちねちと考え続けている。
自分がつまづくのは、物語のある流れを考えているとすぐに枝葉の出来事や感情が浮かんできて、そちらの方がおもしろい気がしたり、好きな気がしたりしてまとめきれなくなってしまうところだ。
これはプロット自体は情報を絞ってきれいにまとめ、実際に描き出すときに足し引きしていくべき情報だと思う。それからもう一つは割と致命的なのだが、私には物語を通して訴えたいことなどあるのか? ということだ。これまで関わってきた物語にはほとんどすべて私の気持ちも乗っかっていたが、それは若い時だからこそ持っていた生きる悲しみや未来への絶望みたいなものが多かったように思う。しかし、私はちゃんと幸せになろうとして、生きる悲しみを自分の力にし、絶望とはほとんど同化してしまった。つまり、原動力たるべき怒りがそれほどないのだ。
エンターテイメントのみに振り切った物語を作るには、私には技量が足りないと感じる。
とにかくめげずにたくさん作るしかない。
2025/10/04(土)
00:02
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P
夫が私と付き合う前から長く応援していたアイドルグループが活動休止を発表した。
私は夫がそのグループのファンクラブに入って、ほとんどすべての情報を追っていることを付き合う前から知っていた。それは、最初のデートの時に彼の方から詳しく話してくれたからなのだが、それを聞いた当初、私は「これから付き合うかもしれない相手に好きな女性アイドルの話をここまでするわけがないから、彼は私を異性としてではなく、単に新しい友達としてお出かけに誘ってくれたのだ」と理解し、それなら気楽に楽しもう、みたいなことをしばらく考えていた。
結果的に付き合ってみてわかったのだが、彼はそのあたりの微妙な関係性のことは何も考えず、ただ無邪気に自分の好きなものについて私に話していただけだったようだ。
付き合うことになってから、彼のことはずっと大好きだったが、その一方で彼と長く過ごすにつれて、私はその女性アイドルグループがイヤになっていった。
当時の彼の部屋に飾られた、彼女たちがまだ幼い姿でステージに立っている写真。本棚に並ぶ所謂タレント本や特集の組まれた雑誌、たくさんのCDやDVD、パソコン画面に鎮座する彼女らのスクショのフォルダ。二人きりで過ごしているとき、ふとした瞬間に彼がそのグループのアカウントやサイトをチェックしているさま。それらを目にするのが苦しくなってしまったのだ。
付き合い始めた年にはツアーがあって、彼は都心、地方を含め、行けそうな日程すべてのチケットの抽選に申し込んでいた。その結果数箇所が当選し、私は名古屋でのライブに旅行がてら一緒に行こうと誘われた。内心楽しめるかとても不安だったし、彼女らのライブを見るためにわざわざ遠くまで旅行をするのだということにかなり驚くと同時に少し引いてもいたが、とにかく一度実物を見てみなければ文句も言えないという気持ちもあったし、少なくとも彼は私を後回しにしようと考えているわけではないのだから、私は彼と一緒にいたい自分の気持ちを大事にしようと思って出かけることにした。
名古屋ではあいちトリエンナーレを見て回ってとても楽しかったが、彼が時々挟むそのグループの聖地の話や、グループが出向いた店に行った話などは聞きながら少し憂鬱になった。
そんなふうに揺れ動く気持ちを抱えたままライブの時間になり、楽しく見ていた会場を後にするのも名残惜しかった。
ライブ自体はまあまあ楽しく、知っている曲もたくさんあった。しかし、開演前にアリーナ席近くのトイレに行ったとき、女性トイレがすんなり入れたのに対して男性トイレは大行列しているのを見て、やはりこれは根本的には男性向けのコンテンツで、彼もその「男性」の中の一人なのだと思うと複雑な気持ちだった。この場に私がいる必要はないと感じた。
名古屋から戻っても、彼は週末になると何度か同じライブを別の場所に見に行っていた。ライブ当日に時間までデートすることもあったが、私はこれがあまり良くない思い出として残っている。
昼間に彼が来て私の家の近所を一緒に散歩して、ちょっとお茶して、夕方には「そろそろ行かなきゃ」と女性アイドルを見に行く。私が同行を断ったせいでもあるが、彼のこのスケジューリングは両天秤にかけられているようで不愉快だった。
ある週、急に彼の親族の用事ができて、ライブの翌日に地方の親戚に会いに行くスケジュールになってしまった時、私が彼の体を心配して「大変だね」と言ったら、彼は「仕方ないよ」と答えた。
仕方ないことはない、急な用事が入って体力的なことを考慮するならライブをキャンセルしたっていいし、誰かにチケットを譲ることもできるだろう。そう思ったが言わなかった。私は彼女で、彼の生活ぶりにそこまで口を挟む立場ではなかったし、彼は無理をしてまでライブに行きたいのだと思うと余計に何も言えなかった。
なんだか当時の彼は、そのグループに関することは当然のように優先して行動していて、私の前でもあまりに堂々とそうしていたし「グループのためなら」という言い回しの発言も聞いたことがあったので、私にはそれが「この件には口出ししてくれるな」というメッセージのように思えていた。とはいえ、この件がどうしても我慢できなくなったら正直に伝えなくてはとも思っていた。
彼と一緒に住むことになって、新宿で家具を探していた時、家具店に飾られたテレビにそのグループのライブ映像が流されていたことがあった。
彼は悪気なく「あ、見なきゃ!」と冗談めかして言ったが、私はその頃にはもうすっかりそのグループに暗い気持ちを抱いていたため、彼の冗談に全然乗れず、その映像を見たくもなくて彼を無視してしまった。今思えば、態度に出すことで彼に私の気持ちに気がついてほしかったのかもしれない。彼はどう思っていたのかわからない。
私は彼がいつも持ち歩いているグッズのポーチも嫌いだった(ポーチを置くとき、必ず絵柄入りの方を見せるように置く。何度裏返しても戻されていた。)し、家のあちこちにあるファンクラブ特典のグッズも嫌いだった。でも、彼のことは大好きだったし、たとえそれが女性アイドルの追っかけだったとしても、相手の趣味を嫌うのは私のわがままなのではないかとも思っていた。しかし同時に、そこまでそのグループが好きで追いかけることを優先したいのなら、中年になった今、わざわざ付き合ったり同棲したりしなくてもいいのではとも感じていた。他人と一緒になるということは多かれ少なかれ自由じゃなくなるものだから。
転機になったのは一緒に住み始めて一年後の年末、彼がそのグループのカウントダウンライブに行く予定を立てていたことがわかった時だった。私にとっては衝撃だったが、彼はなんてことないふうに、半分報告の雰囲気で、三十日のライブに申し込むつもりだと言った。そこで私のコップの水が溢れてしまった。
前の年の年末のことを考えると、二十九日や三十日は買い出しや大掃除をするのだろう。そして彼の予定ではたぶん、夕方にライブに出かける。その間に私は一人で食事を作って食べ、映画でも見て先に眠る。その後、彼が帰ってくる。お腹が空いていたら私の夕食の残り物を食べるかもしれない。翌日の大晦日は夕方に彼の実家へ行くことになるだろう。
私にはそれはずいぶん彼中心のスケジュールに思えた。彼が一番楽しく過ごせるという点ではいい予定なのだが、私はどうだろう。私が楽しい年末を過ごせるかどうか、彼は一ミリでも考えてくれただろうか。以前、彼はライブの前にほんのちょっとだけ私に会いに来てくれていたけれど、一緒に住んでいれば、家に帰りさえすればいつでも会えるのだから趣味の時間が増えると思っていやしないか。もしも今後、ライブがあるたびに参加することを前提に予定を立てられたら、私はたぶん楽しく暮らせない。そう思ったら涙が溢れてきて、私は一人になりたいとことわって散歩に出かけた。
河辺の小さな公園で腰掛けて呆然としたり、歩きながら少し泣いた気がするがあまり覚えていない。
この件については、私の正直な気持ちを伝えたら別れることになるかもしれないと思っていたが、そうする以外の選択肢がなかった。だから、家に帰ってなるべく端的に気持ちを伝えた。その結果、彼は追っかけをやめた。もちろん、彼のパソコンやスマホのどこかにはそのグループの何かしらのデータが大量に眠っているかもしれないし、タレント本や特集の雑誌、写真集などがしぶとく本棚に並んではいるが。
そういう経緯があるから、活動休止について彼がどう思っているか聞くことはない。
もしかしたら彼は、私の出現でここ数年の活動をがっつり追えていなかったことを心のどこかで後悔しているかもしれない。あるいは、追っかけなくなったことでちょっとずつ興味が薄れているだろうか。どちらにせよ、私はもうそのグループのことには触れない。まるで私の世界には最初からそれらが存在しなかったみたいに。
2025/10/02(木)
23:43
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